ゆきんこさん 017 [私の出産] | 第3回ぐるっとママ懸賞作文

「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第3回ぐるっとママ懸賞作文

ゆきんこさん 017 [私の出産]

命のバトンタッチ
命を削って愛してくれたあなた方の祖父母がいることを忘れないで、命の大切さや愛を知って欲しい。


 長女を里帰り出産することにした私は、車で五時間ほど離れた住まいから、二歳の長男を連れて実家の両親の元へ帰りました。いたずら盛りの長男と当然のように甘えて上げ膳据え膳の私に、六十歳を過ぎた両親への負担は大きかったことを、あの頃の私は思いやれなかったことを反省しています。大事にしすぎだったのか、予定日を五日も過ぎ、陣痛促進剤で産むことになりました。
 陣痛促進剤を打ってあっという間に陣痛がきて、お昼休みを取っていた医師の到着も間に合わずに長女は産まれました。3600グラムの立派な赤ちゃん。よく母乳も飲んで、よく眠る親孝行の娘でした。それと比べて母の私は、出産時の負担から腰痛や痔を発症して芳しくない状態でした。しかし、もっと芳しくなかったのは両親で、初め父がインフルエンザーにかかり、次に母に移り寝込んでしまっていたのでした。だから、出産時も入院中のお見舞いにも、誰一人来ることがなく、同じ部屋の方に代わる代わるお祝いの方がみえているのを見て、寂しい思いを私は感じました。
 退院時、やっとの思いで迎えに来てくれた両親でしたが、体調も回復していないとのことで顔色も悪く、移してはいけないからと娘を抱くこともできませんでした。実家では赤ちゃんのことは勿論、両親の病状も心配でした。特に母は寝込んでしまって、私が作るお粥をすするのがやっとでした。そんな心配もあってか、すぐに母乳が出なくなってしまいました。その事を知った母は、すまなそうな顔をして、「反対に面倒みてもらっちゃって、ごめんね。」と私に謝りました。顔や言葉には出さないようにしていましたが、なんでこんなことにという気持ちがなかったわけではなかった私です。両親の元で産後の私をいたわってもらって、赤ちゃんのお世話もいっぱいしてもらおうと、当然のように考えていたのです。明るく、「全然大丈夫だよ。お母さんこそ、早く元気になってね」って言ってあげればよったのに。
 ミルクに替えて長女は益々いっぱい飲んで、ぐっすり眠ってくれました。飲ませた後、トントンと背中を叩いてあげて、大きなげっぷが出ると嬉しくて、安心を感じました。二歳の長男にご飯を食べさせている時、寝室で長女が泣き出しても「ちょっと待っててね、今お兄ちゃんご飯だから。」と言うと、まるで、「わかったよ。待ってるよ。」とでもいうように泣き止んで、そして「ごめんごめん、待っててくれたんだね。」と顔を見せると、ふにゃぁ~と安心したような顔をして、「待ってたんだよ~。やっと来てくれたぁ~」とでも、言ってるようでした。
 インフルエンザーは、赤ちゃんにも私にも移ることがなかったのですが、母は元気が戻らず私たちは予定より早く帰ることにしました。母は、「もっともっとしてあげたかった。」と残念がりました。そして、ふとお腹に私の
手を当てました。しこりがある!私はその手に、あきらかな病巣の証を確認しました。母は、私たちが帰ってから病院に行くつもりだと言いました。そして、暫しの間長女をぎゅっと大事そうに抱きしめました。
 飛行場での両親とのお別れに、私は涙をこらえました。それは、今までの甘えんぼうの私では、母が心配するだろうと思ったからです。「私も尊敬する両親のように次にはこの子たちの親として、しっかり立って行かなければならない。大丈夫、頑張るから。安心して、病気と戦ってください。気がつかなかった娘を許してください。」言葉には出せませんでしたが、その思いがありました。
 それから、一年して母は天国に召されました。そして、その後一年して次女が産まれました。実家に頼ることなく、上二人の面倒を見ながら「頑張れたよ。お母さん。」
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